家庭裁判所から届いた「離婚調停申立書」。
そこに躍る「DV」「虐待」という、身に覚えのない事実無根の恐ろしい言葉の数々。
手紙を持ったままアパートの部屋で崩れ落ちたあの日から、
私の人生は本当の「泥沼の地獄」へと突入していきました。

私の給料口座は元妻が管理をしておりキャッシュカードは持っていたのですが
離婚調停が届いた月から、口座にお金が百円単位でしか残らなくなりました。
そうです、元妻が入金され次第すぐに給料を全額引き落とすのです。
当時は今のようにキャッシュレスが浸透していなかったので・・・
物が買えない。
クレジットカードすら使えない状態になっていました(泣)
手元に残された現金は、別口座で管理していた会社からのわずかな出張旅費のみ。
もともと頭を冷やす期間だと思い、高速道路のすぐ横にある
トラックが通るたびに身体が跳ねるという劣悪な環境の家賃3万円の格安アパートに住んでいたのですが、出張費のみでは、1ヶ月の生活費を光熱費を入れて2万円以下に抑えなければ生きていけない、極限の貧困生活が始まりました。
※今思えば、会社に言って給料の半分でも出張用口座に振り分けたらよかったのですが、、、、
当時はショックと空腹でそんな知恵さえもなかったのです。
片道1時間の自転車通勤と、公園で一人かじる「塩おにぎり」
当然、修復できると思っていたので、会社でそんなプライベートの状況を口にできるはずもありません。 出社すれば何事もないフリをして、スマートに仕事を片付ける平社員を演じ続けました。
しかし、その裏での生活は壮絶そのものでした。
交通費を生活費に充てるため(流石に出張費だけでの生活はきつかったので💦)
1円でも削ろうとして、会社まで片道1時間の道のりを毎日自転車で往復。
お昼休みになると、同僚たちに「自分はお弁当があるから」と嘘をついて会社を抜け出し、
一人で近くの公園のベンチへ向かいました。
自分で握ってきた、具も何もない冷えた「塩おにぎり」を、
最初はボロボロと涙をこぼしながらかじる毎日。

「俺は一体、何のために頑張ってきたんだろう……」
「子どもに会いたい。家族を守りたくて、週末の過密移動も、
同居の提案も、仕事も全部全力でやってきたのに……」
そういった中離婚調停が始まります。
子どもと一緒にいたい私は、首を横に振るばかり・・・
当初は調停員も元妻の言葉を信じ(こういう時は女性の言い分を正しいと決めつけるのは
本当に男女差別だとつくづく思いました。)
結局、当時5歳の息子に裁判所や調停員がヒアリングしたみたいで、
虐待がなかったことが証明されるのですが、、、、
元妻はどうしても離婚したいが、不貞も経済面もましてや虐待もないということで
自分が首を縦に振る以外離婚は成立しません。
子どもと暮らしたい自分はNOを突きつけ続け、1年半がんばりましたが
調停員の言葉で最後は根負けして首を縦に振りました。
「あたなは本来離婚を申し立てられる夫ではないです、そんなあなたを拒絶する
パートナーとずっと一緒にいても幸せな未来はないですよ。
先方から解決金の提示が出ています。これはあなたに非がないということです。よくがんばりました。もう肩の荷を下ろしませんか?」
結局親権は元妻に落ち着き(日本ではほとんどそうなります)
離婚が成立しました。
当初の約束では、小学校高学年になれば、1日子どもと過ごせたり旅行に行けるよ約束になってたのですが、子どもの体調を理由に結局、月1回、お昼わずか2時間程度しか子どもと会うことを許されず、中学~高校になっても直接子どもと連絡はなしで3カ月に1度、高校になると年1回ランチの2時間のみ。しかも元妻が必ず同席するという意味が分からない面会となりました。
どうして、こんな理不尽なことを受け入れたかというと
こちらが元妻の提案に反すると、すぐに子どもがおかしくなった、あなたのせいだと。。。
とにかく、自分の想い通りにいかないと、子どもに全く合わせてくれないので
なくなくその理不尽な要求を子どもと会うために飲むしかなかったのです。
話は少し前後するのですが、離婚が成立するまでの
お金のない時の話です。
「そこまでされて、なんで我慢するんだよ」
極貧と精神的苦痛の中で激痩せし、
ボロボロになっていた2〜3ヶ月目、
私の異変に気づいてくれたのが会社の先輩でした。
張り詰めていた糸がプツリと切れ、私は先輩の前で隠していた
苦惨な現状をすべて打ち明けました。
黙って私の話を聞いていた先輩は、一言こう言ってくれたのです。

「お金のことは気にするな。離婚が決着するまでの間、飯は俺が全部面倒見てやる」
「そこまでされて、なんで我慢するんだ?」と聞く先輩に、私は声を震わせながら答えました。
「子どもと、もう一度笑顔で暮らす夢のために、今は耐えたいんです……」
先輩は「そうか……」と一言だけ言い、
それ以上は何も聞かずに経済面でも精神面でも私を温かく支え続けてくれました。
もしあの時、無条件の優しさで救い上げてくれた先輩がいなければ、
私の心身は完全に壊れ、命を絶ったかもしれません・・・。
人の痛みを知り、体系化した「手当て」が仲間を救い始める
1年半に及ぶ過酷な調停を耐え抜く中で、私は骨身にしみて理解しました。
人は極限のストレスに晒されたとき、
真っ先に自律神経と体の神経伝達から崩れていくのだと。
自分自身が限界の中で、学び続けていた整体・気流・神経調整(手当て)
を自分の体に施すことで、なんとか心身の軸を保ち続けました。
そして、この壮絶な痛みを経験したからこそ、
私のノウハウは単なる「肩こり・腰痛の施術」を超えて、
「ストレス社会で傷つき、声なきSOSを上げている人の心身を救う、
本物のセルフケア・整体メソッド」として完全に完成したのです。

職場で同じようにストレスや疲労で疲れ切っていた同僚たちに、
私が体系化した手当てや身体調整をこっそり施してみると――。
「何これ!? なんで触られただけなのに、こんなに体が軽くなるの!?」
「ずっと夜眠れなかったのに、久しぶりにぐっすり休めたよ……!」
次々と驚きの声が上がり、
仲間たちの笑顔が溢れていました。
絶望のどん底で学んだ痛みと、先輩から受け取った「無償の優しさ」。
それらすべてが結実し、
私の技術が「他人の人生を救う本物のノウハウ」として花開いた瞬間でした。
つらかった調停を乗り越え、
その後も勉強し続けて自分の技術に絶対の確信を得た私。
ここから早期退職を決意し、ついに一人の治療家として社会へ飛び出していくことになります!
さあ、次回はどうなるのかお楽しみに!

【次回予告】
第7話:【55歳からの挑戦】会社を飛び出し、自分の足で立ち上がった日
長年勤めた会社を早期退職し、出張整体からスタートした私。
最初は不安だらけだった挑戦が、
口コミで広がりリピート率7割を超える人気サロンへ……!
完結編、次回もぜひお楽しみに
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